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オセロ

お嫁さんになるちーちゃんへ

ちーちゃんにお手紙を残します。

私の1年にちーちゃんという人がいたことを残したいから。

きっと私の記憶には残るけど。

文字として残すことが私は好きだから。

ちーちゃんと出会って1年。

いろんな話をしたよね?

笑えちゃう話いっぱいしちゃったね。

ちーちゃんにはいっぱいの冗談も言ったなぁ。

きっと私はこういうトークをすることが始めてだったと思う。

だから50分という時間は私は好きだったよ。

私とちーちゃんの関係は患者と先生だね。

ちーちゃんはかわいい顔した人です。

私が始めて出会った日に思いました。

若いなぁ~って。

それぐらいにほっぺが特徴的で私は好きでした。

でも、私は初めやっぱり身構えました。

そして、怖かったです。ちーちゃんが怖いのではなく人が。

私のことをどこまで知ってるのか分からなかったから。

どこまで話していいの?って思いました。

私の病気をどこまで報告されてるのだろう?って思った。

リスカは知ってるとは言ってもこの腕は普通ではないと思ったし。

悪いと思った。

でも、嫌な顔せずお風呂に入れてくれて接してくれたことに感謝します。

私は1年は発病してから割り方落ち着いた年だったと思ってます。

でも、リハビリの前の日にお薬いっぱい飲んでました。

そんな時でも私はリハビリの時間が欲しかった。

私にとっては心の置き場でした。

唯一の会話という時間は大切だったし。

でも、私は整形の主治医は私にどういう状態かは一切説明なしでした。

それは私のためのことです。

そんな日私は紹介状を開けました。

病名は意味が分からなかったけど。

「感覚障害、運動障害の完治はほとんどみこみがないと思われる。」

と書かれたのを読んだ日泣きました。

治らない・・・

自分でやったこと。

誰にもこの辛さは言えず。

腕を切りました。泣いて泣いて受け止めれなくて。

私は普通になると思ったんです。

また接客として店にたてると思った。

それが出来ないと分かった日私は「こんな体は憎い!中途半端

な障害なんていらない。殺して欲しい」と思いました。

ずっと沈んでました。

主治医に慰めてもらっても。

その現実は受け止めたくなかった。

でも、やっと認めることが出来たときに「手術をしましょう」

と言われた。

呪った。

この体は何?と思った。

早く殺してと思った。

あの日助かったことを呪った。

こんな苦しみのために生きるのですか?と思った。

もう1回飛び降りようと思ったりもしたのがうそではない。

あのマンションを見つめた。

寝たきりになってもいい。

もう手術はしたくない。怖い。

そんな荒れながらも、リハビリの人は普通に来ていた。

私は笑っていたよね?

なんかちーちゃんの前では笑えたんだ。

ありがとうね。

そのうち私もふっきった。

後1回の頑張りでいいんだ。って思ったから。

そしたら私はもう自由でしょ?って思ったから。

それから、私にロフスト杖というものは与えられた。

私には一生に近い友達でかわいかった。

赤を選んだ。

この障害になって唯一かわいいものが選べる瞬間。

杖は最高に使いやすいものだった。

やっと県外にも行けた。

幸せでした。

このまま幸せのまま私は続くと思いました。

そんな日に・・・

友達の死を知りました。

ショックでした。

もちろん。それでもリハビリはあった。

断れたけど。

忘れたかったからやった。

彼氏を入れて自死で人をうしなうことは5人目。

私は助かって他の子は死ぬ。

この違いは分からないけど、辛かった。

1年の間に私の中で決して何もなかった人生ではない。

でも、自殺行為はしないで入院もせず過ごせた。

私がここまで元気になれたの、リハビリがあったからだと思った。

週に2回は絶対人と話せる。

それは嬉しかった。

ちーちゃんが部屋にくると私は自然と笑顔になっていた。

ちーちゃんはいっぱいの恋愛トークをしていた。

なぜか敬語のちーちゃんに私は笑えた。

だって私が年下なのに敬語使ってないもん(笑)

ちーちゃんは礼儀のた正しい人だった。

1つ1つの行動をみたら分かった。

だからお姉ちゃん的存在ではなかったと思う。

でも、私の精神の遅れの病気を知ってるようなリハビリ内容だった。

それに私は一番ビックリしていた。

知らないはず・・・

まさかと思った。

私は言わなかった。

普通のリハビリは他のこと考えて集中できない事を・・・

精神年齢の遅れ・・・

そんな私のリハビリメニューにお手玉をいれてくれたことは

嬉しかったし、それだけは自主トレもかなりやった方だった。

自主トレが出来ない私。

道具を与えられると出来るのに。

だから病院では自主トレはなかった・・・

そういう理由で。

お手玉使ってしりとりをしたリハビリは私はきっと一生忘れないと思う。

だから日記に書いたのだろうし。

ちーちゃんのことを1年で全部語ることは私に出来ない。

でも、本当に素敵なリハビリの先生であり素敵な女性だったと思う。

ちーちゃんを選んだ彼氏さんはすごい目だと思うよ。

ちーちゃんなら素敵な家庭を作るだろう。

だから幸せになってね。

ちょっと遠くになっちゃうけど、こういう形で出会ったけど

ありがとう。

いっぱいのありがとうしか私には送ることが出来ません。

これから県外でいっぱいの苦労とか悲しい事あると思います。

絶対あります。

でも、そのときはあのポストカードの言葉を思い出して?

そういう意味でつけたの。

ちーちゃん大丈夫だよ。

ちーちゃんはキラキラしてるから。

自分の道を持った人は生きれるんだよ。

私はこれから2つの障害と付き合いながらの仕事を探します。

ちーちゃん。1年私の相手してくれてありがとう。

担当になってくれてありがとう。

本当にありがとう。

これを最後にここに残します。私の25歳の記憶です。


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